私達は「時代」に生きているのだ。


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猫より出でし者、どうも @bosunekoです。

世界は回る。
私が考えているほど、世界は待ってくれていない。
そう言えば、時間もせっかちなのですぐ私を置いていってしまう。


だから、去年の今と今年の今との違いに目を向けると「何も変わっていない」自分に気がつく。
世界に置いてかれて、時間にも置いていかれてしまっている。
映画「風立ちぬ」でも、次の言葉が大いに胸にささる。

「世界との差は20年。」

ドイツの飛行機技術を見て、日本人が語った言葉だ。
全ては、ぼぉっとしていると過ぎ去っていく運命だ。


その波にのるのか、のらないのか。
そう聞かれたら、間違いなく私は「のる」と答える。
いや、無理にでものりたい。
時間が許す限り、生きている限り。


私達は「時代」に生きているのだ。

時代


今の時代を言葉に表すと、私は「ポータブルデジタルデバイス」の時代だと思う。
つまり、タブレットPCやスマートフォンと言った端末を個人が操る時代だ。
最先端のデバイスを個人が扱うなんて、昔の時代では考えられなかった。


だいたい、どこかの会社だったり、どこかの軍事用技術として供給されて、最終的に個人にまで降りてくることは少なかったと思う。
いい時代に生まれたなぁって純粋に思う。


そして、その時代にのるためにはやはり、その時代にそった考え方、物、情報などを日頃から摂取しなければならない。
食事をとるかのように、睡眠をするかのように。


流行に敏感な人は2種類に分けられると思う。
一つ目は、流行の情報がバリバリ入ってくる環境に身を置いている場合。
もう一つは、流行の情報がバリバリ入ってくるような仕組みを自分で構築している場合。
どちらにしても、時代を取り込むスタイルができあがっているからだと思う。


それは年齢でくくれるものではないと思う。
おじいちゃんでiPadを扱う人もいれば、高校生で携帯電話を持たない人もいる。
スマートフォンを持ったのに、全然扱えない人もいれば、携帯電話を極めている人もいる。


要は気持ちの持ちようだ。
「時代」についていこうとしているかという姿勢の問題だ。
社会に出てから若い文化から離れてしまった実感がある。
でも、その情報は得られるようにしている。できる限り時代から取り残されないように私はしている。


結局は新しい文化も、欲求も、ビジネスも、人も、音楽も「時代」から生まれていく。
人が作り出す社会が「時代」を生み出していく。
そんな「時代」を私は生きている。
これからも「時代」を生きている。


たとえ、変化とかしてもかじりついても生きていく。
そんな事を思った、今日この頃。


まとめ


ミーハーな自分にいたいと思った。
では、またー!

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