photo by Sergiu Bacioiu
猫より出でし者、どうも @bosunekoです。
インプットという言葉を使うとなんだか、出来るビジネスマンになった感じになります。
「俺ってインプット多いからさぁ、何だって出来るんだぜ!」みたいな天狗オーラ全開だなって私は思います。
そーは言っても、私自身日常でも時々使う言葉なので天狗ではなくて、せいぜいピノキオオーラ具合にはなっているかもしれません。嘘はついてないですよ。
そんなインプットという言葉ですが、直訳すると「入力」という意味になります。
キーボードの入力も、指示の入力も、そして情報収集や勉強もこの言葉に集約されます。
そうただ単に「入力」する事の総称を格好良く言っただけの言葉なのです。
要は「入力」です。そのモノに対して入ってくるモノ全般を言うのです。
私が今回ブログで取り上げたいことは、自分自身へのインプットの事です。
日々にニュースとか新聞とかで取り入れられる情報、人からの伝達、経験から来る知識など自分の中に入ってくるモノに対しての取り扱い方です。
ただ、漠然と自分の中に入れただけではインプットは意味を成さないんだなぁって思います。
読書だってどうでしょうか?
この行為もインプットですが、果たしてためになっただけでそれ以降につなげられていますか?
テレビの情報番組も然り。ライフハック系のネタ然り。新聞然り。このブログ然り。
私が言いたいことは、後につながるインプットをしようという事です。
何かに使うからインプットする訳で、逆に言えば後で役に立たないインプットは使い勝手が悪いのです。
だから、最初ではなく行き着く先を考える。
夢のように、先を見てから逆算する。仕事の段取りも最終成果物を考えて今の行動を行う。
その事とインプットは一緒です。
情報をインプットするときに行うべきたった一つの習慣は、人にどうやったら説明できるか?を考えながらインプットをするという習慣です。 続きを読む