photo by Nam2@7676
猫より出でし者、どうも @bosunekoです。
私達は忘れる生き物だ。
だから、怒られたって、褒められたって、貶されたって、喜ばれたっていつの間に忘れている。
その中でも例外はある。
心に刻んだ物だけは、記憶として生きていける。
感情が高まった瞬間、怒りが心に満ちた瞬間、悲しさに心が溺れた瞬間、歓喜に沸いた瞬間。
その瞬間に刻まれる。
逆に言うと、心に刻まれない物は人生に必要ないものかもしれない。
ちょっとだけお客様に喜んでもらえたことも、ちょっとだけ注意されたことも、ちょっとだけ怒りにふるえたことも、もしかしたら不必要な産物なのかも。
ゴミ箱へポイってする具合に、出来事もポイって感じかな。
そんな仕組みが私達にあるのなら、嫌だ。
劇的な人生が誰にも訪れるってことはないし、毎日が刺激的な毎日が訪れるとも限らない。
少なくとも、私の人生は今のところ平凡だ。たまに、刺激がある具合。
ほとんどの毎日は「ポイ」する毎日だ。
2日たてば、何を捨てたのかさえ憶えていない毎日だ。
3日たてば、ポイした事実さえ記憶から抹消されている。
仕組みによりポイされた記憶。消去された日常。
このような人生は嫌だ。
出来れば毎日少しでもいいから、記憶として保持したい。
「そんなこともあったな」「あの時はこうしたよねぇ」っと思い出話しに高齢者になったら語りたい。どーでも良かった日常を。ポイされた日常を。宝箱からそっと取り出すように語りたい。
なんでもない日にありがとう。そんな考え方を私は支持します。
記録すること
私達の記憶は有限だ。
何でもかんでも入れられる魔法の脳ではない。
だから取捨選択する仕組みはあるんだと私は思っている。
簡単に言えばその人にとって有用か不必要か。そんなことを判別して記憶されるんだと思う。
だから興味がないもの=不必要ってことで、そんな記憶は脳から抹消されやすくなる。
それを防ぐには・・・・まっ記録しかないかと。
日記だったり手帳に記載したりなどなど。
仕事上後から必要にあるとか、怒られるから一応記録しておくなど、様々な理由が考えられるがその一つに「ポイされる日常を保持したい」という理由もありだと思う。
このまま行くと、忘れてしまう。
それって悲しいことじゃないですか。
せっかく褒められたのに、喜ばれたのに、忘れるって・・・。
その行為が現実としてあるのに、忘れってもったいないような気がします。
だから記録するって言うのもありじゃないのかな。
ポイする日々
ポイされた日常は一生かえってくることはない。
ポイされた記憶は一生思い出すことはない。
人生はやっぱり無駄な積み重ねが作っているのかもしれない。
その無駄を記録してみませんか。
なんでもない日常を。
残しておきたい記憶を。
オススメは日記です。
iPhoneとか何でもかんでもいいですけども。
まとめ
たやすく消えゆく思い出を少しでも、記憶として残しておきたいなぁっと感じたので記事にしてみました。
何でもかんでも取っておきたい人間の性かもしれませんが、それが人生を作っているんだと思うんだと取っておきたい気持ちは大いに分かります。
全ては無理だとしても、心が少しでも動いた瞬間だけはとっておきたいですね。
では、またー!
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